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私は1999年4月にインドネシア ジャカルタに赴任しました。ちょうどインドネシアでは、アジア通貨危機の影響による為替の大暴落、急速に進んだインフレから暴動が発生し、幸い日本人には犠牲者が出なかったものの多数の犠牲者が出る大惨事となった翌年であり、市内のあちらこちらで暴動の爪跡を垣間見ることのできる状況でした。98年11月には32年間続いたスハルト大統領体制の終焉を迎え、長く続いた独裁体制から民主化の第一歩がまさに始まった時期でもありました。
赴任からのこの6年間は、インドネシア共和国として独立国家となった60年前からの歴史の中でも非常に大きな変化のあった時期であり、その中で身をもって経験し、感じたインドネシアについて少し述べたいと思います。
1.自転車よりも多いオートバイ?
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| ジャカルタ市街のオートバイ |
インドネシアのオートバイの生産台数は、98〜99年に50万台足らずにまで落ち込んだ後、毎年、3割以上のペースで生産数量が増え、今年は500万台を超える勢いです。この台数は過去の経済成長のピークであった97年の180万台を大きく上回る数であり、中国、インドに次ぐ世界第3位のオートバイ大国となっています。最近の日系メーカーの進出、投資拡大も、オートバイ関連の会社、事業が圧倒的に多く、四輪関連の投資と並び、インドネシアの経済成長に大きく貢献しています。小生の担当するプラスチック原料関連の製造会社も、その恩恵を受け、忙しい日々を送っています。
かたやジャカルタでは自転車を見ることがほとんどありません。第一の理由は、自転車はおろか、人が歩く道路が全くと言って良いほど整備されていないことが挙げられます。もし自転車で市内を走るとしたら、車とオートバイでほとんどスペースのない車道を命がけで、排気ガスと汗にまみれながら走ることになります。 遊び盛りの子供たちにとっては自由に外へ自転車で出掛けることもできず、事情が分からずに日本から自転車を持ってきた子供たちはアパートの限られた敷地の中で、それでも元気に乗り回しているところを見掛けますが、たくましくもあり可哀想でもあります。
2.危険というもの(危機管理)
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| 危険というもの |
最近でこそ日本でも信じられないような事件、凶悪犯罪が日常茶飯事になりつつありますが、それでも他の諸外国と比較すると日本はまだまだ安全な国であると、インドネシアに住んでいると実感します。当地では通貨危機を境に経済が大きく落ち込み、失業者が増加し、貧富の差が拡大しました。毎日を食いつなぐために生きているような人達が巷にあふれています。モラルの問題でなく、生きるために犯罪に手を染めるような環境に置かれている人も少なくありません。
日本人社会においては、危機管理を徹底した生活パターンが求められます。「…をしてはいけない」との常識を守っている限りはまず、危険な目に遭うことはありませんが、常に緊張感を持って危機管理を行なう必要があります。 小生も「…してはいけない」ことをちょっとした気の緩みからしてしまい、危ない目に遭いかけたことがあります。どんなに海外生活に慣れても日本とは違うということを思い知らされた事件でした(幸い大事には至りませんでしたが…)。このような経験を重ね、たまに日本に一時帰国をしたり、シンガポールに行くことがあると、無意識の緊張感がスーッと開放されるのを実感します。
最近は徐々にではありますが、失業率が低下し、最低賃金レベルが改善していますので、状況は良くなってきているように思います。
現ユドヨノ大統領が、強力なリーダーシップを発揮し、政府として根本的に貧困対策、援助等の整備を進めることを心から願う次第です。
3.石油輸出国機構(OPEC)の議長国インドネシア
皆さん、インドネシアがOPEC構成国の一員であり、現在は議長国であることをご存知でしょうか?インドネシアは、日本にとっては第2次世界大戦前から産油国として最も注目していた国のひとつであり、1942年3月には、当時オランダ領であった同国を占領し、終戦までの3年半の間を日本領として統治していた歴史があります。現在でも日本に対する天然ガスの主要輸出国であり、天然資源には非常に恵まれた国です。そのインドネシアが最近、原油の純輸入国に転落したとの報道を目にしました。最盛期に150万バレルを誇った産油量が、開発主体であった欧米系メジャー企業の投資抑制(カントリーリスク管理による)により低下傾向にあり、最近では100万バレルを下回っているようです。一方で車、オートバイの増加や、経済回復・成長による石油燃料消費の増加により、ついに国際収支がマイナスになってしまいました。OPEC議長国が石油輸入国では恥ずかしいから(?)議長を辞任するとの噂がありましたが、結局辞任はしていないようです。
政府は石油燃料への補助金を出しているため、いまだに一般ガソリンの価格は20円台半ばに据え置かれていますが、この補助金が政府の財政赤字の主因となっているため段階的に補助を縮小、撤廃する方針が出ており、インフレの拡大、消費の落ち込み、さらにストライキにつながることが懸念されます。
このような状況はインドネシア経済に深刻な影響を及ぼします。政府がこれからの政策により海外投資を呼び戻し、産油量を回復させて石油輸出国に復活することを期待したいものです。石油不足の事態を避けるため、ユドヨノ大統領が日本のように「クールビズ」を呼びかけ、冷房の設定温度を上げる節電キャンペーンを始めましたが、元々スーツ、ネクタイ着用の人はほとんどおらず、あまり効果はなさそうです。また、7月には「テレビの深夜放送を中止」との大統領令が出されましたが、いつの間にか解除されているようです。そういえば、当社のジャカルタ事務所が入居している某日系オフィスビルの冷房が以前は上着なしでは耐えられないくらい寒かったのですが、最近は程よく効いているように感じられます。これはありがたい節電効果です。
4.日本より暑くないインドネシア?
ジャカルタは赤道直下、南半球に位置する熱帯気候の国ですが、以外と暑くないのをご存知でしょうか?日中の気温は30℃を越えますが、午後3時を過ぎるとだんだんと涼しくなってきます。深夜になっても気温25℃を超える熱帯夜になることはまずありません。就寝中はエアコン不要、少し窓を開けておけば早朝には肌寒いときがあるくらいです。真夏に日本に帰国するとかえって夏バテしてしまうことさえあります。ジャカルタ市内は高層ビルが立ち並ぶ大都会ですが、それでもビルの合間には緑が多く見られ、日本のようにヒートアイランド現象が見られないことが理由のひとつかもしれません。
インドネシアでは朝/PAGIが夜明けから10時頃、昼/SIANGは10時〜午後3時ごろまで、そして涼しい風が吹き始める3時過ぎ=SOLEとなり、日没以降をMALAMと、1日を4つに分けて呼び、それぞれに挨拶があります。照りつける暑さから、風が爽やかになるSOLEになると快適です。朝に強い日本人は早朝を好んでゴルフをしますが、疲れるにつれて暑くなるよりは、午後からゆっくりとスタートし、後半涼しい中でラウンドした方が疲れも少なく、スコアも良くなるような気がします。
5.インドネシア共和国の誕生日
インドネシアは今年、独立60周年を迎えました。60周年と言えば、今年は日本でも終戦60周年記念特集番組が数多く放映されています。 インドネシア共和国独立と終戦日はたった2日違いなのです。それもそのはず、第2次世界大戦中、1942年から日本はインドネシアを占領下に置いていましたが、日本の敗戦により独立のチャンスをうかがっていた活動家であるスカルノ氏(デヴィ婦人はスカルノ大統領の第4夫人として有名ですね)が終戦の2日後、1945年8月17日に独立を宣言し、初代大統領に就任した歴史があります。以外にも?日本軍将校達は友好的に独立を受け入れたと言います。その後、以前の占領国であったオランダがインドネシアに攻め入り、再植民地化をめざしましたが、独立で戦意の高いインドネシア兵に加え、当地に留まった旧日本兵数百人がインドネシア兵としてずいぶんと活躍し、4年間にわたる長期戦を制し、オランダ軍を見事に撃退したそうです。その後もそのままインドネシアで結婚し、生涯をインドネシアで暮らした日本人の方が多数おられ、まだご健在な方もいらっしゃいます。また、多くの二世の方が現在のインドネシア経済界と日本経済界の掛け橋役として活躍しておられます。
6.ジャカルタの日本食はアジアNo.1!
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| バリのホテルにて家族と
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ジャカルタはここ数年続いている好調な景気、経済成長への期待からか、最近は近隣のASEAN諸国であるシンガポール、マレーシア、タイからの出張者が非常に増えています。
仕事後の会食の席で一様に皆さんがおっしゃるのが、「ジャカルタの日本食はアジアで一番!」と言うことです。小生も10年以上前にシンガポール、クアラルンプールに駐在した経験がありますが、時期が違うとはいえ、以前よりもずっと美味しい日本料理をリーズナブルな価格、心地よい雰囲気の中で楽しむことができます。海外駐在員にとって美味しい日本食が不自由なく何時でも食べられるということは、何にも増して恵まれたことかもしれません。車社会で歩く機会がめっきり減ったことに加え、毎日の食事を美味しくいただいた結果、当地で体重を増やす人が多いのは事実です。
7.嫌いだけど大好きインドネシア
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イナバタインドネシアのスタッフと
(筆者前列中央) |
海外生活は日本では考えられないことでストレスを感じることが数多くあります。言葉の違い、文化の違い、宗教の違い、教育、育った環境の違いなど日本、日本人とは違うことばかりです。インドネシアそのものも、多くの民族、宗教、言語、文化が混在した複雑な社会構造になっていますが、独立した60年前に「多様性のなかの統一」をキーワードに統一国家としてスタートした歴史があります。
初めてインドネシアに駐在する際には誰しも日本の生活、常識を自分の基準として物事を判断する傾向がありますが、当然ながら日本と違うことばかりです。家庭の奥様達はメイドさん、運転手さんとのコミュニケーション、付き合いが最初の試練でしょう。思ったとおりにならずに悩んだり、腹を立てたりして何人もの使用人に交代してもらうことになりますが、結局は相互理解と妥協、そして慣れによってなんともなくなるようです。
ご主人は会社の仕事を通して現地の方との関わりが始まります。どう説明しても理解してもらえないこと、こちらが理解できないこと、毎日さまざまな問題がわいてきます。最初は感情的になったり落ち込んだりしますが、インドネシアの宗教や文化、歴史を学ぶうちに思想の違いや行動の理由などが分かってきます。そのころにはインドネシアを否定的に見る感覚が薄れ、当地の良い面がだんだんと見えてきます。 おそらく多くの駐在員の方たちは、赴任当初は嫌いだと思っていたインドネシアが、帰任するころには去りがたく、忘れがたい第二の故郷と思えるようになっているのではないでしょうか?
8.最後に
最近の経済関連の記事、評論では、中国、インドが大きく脚光を浴び、ASEANにおいても、堅実な成長を続けるタイ、優秀な人材、安い人件費のベトナムが注目されていますが、インドネシアもまだまだ捨てたものではありません。豊富な天然資源、人口を抱え、政情も徐々に安定してきており、消費国としても生産拠点としてもまだまだ発展する可能性を秘めていると思います。財政、経済、社会システム面にも多くの問題を抱えている国ではありますが、それらの問題を一つずつ改善、解決して大きく発展することを切に願う次第です。
(追記)上記文章を投稿後の10月1日にバリ島で爆弾テロが起きました。ジャカルタに在住している日本人にとって最も身近で親しみのあるリゾート地であるが故に、今回のテロは残念でなりません。バリを愛する多くの方が深い悲しみ、怒り、憤りを感じています。3年前に続くテロだけにこれからの経済的被害は計り知れないものですが、インドネシア政府、現地の方々の努力によりもう一度、治安、信頼の回復と復興が進むことを願い、筆を置きたいと思います。
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