羨ましいほどに豊かな国 アルゼンチン
  井尻 收一( いじり   しゅういち)
亜国三菱商事会社
社長
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筆者
 

1.国家の破綻
ヨットハーバーと建設中の高層マンション
ヨッ トハーバーと建設中の高層マンション
昼食で賑わうレストラン
昼食で賑わうレストラン

 昨年、アルゼンチンに赴任して、目の当たりにした光景にわが目を疑ってしまいました。ラプラタ川に面するウオーターフロント地区には、高層マンションが次々と建設され、眼下のヨットハーバーには自家用ヨットがひしめき合って並んでいる。赤レンガの倉庫を改装した高級レストラン街では、連日着飾った紳士淑女が高級ワインとアルゼンチンビーフに舌鼓を打ち、サッカーやテニスの話題で深夜まで盛り上がる。ホテルやタンゴショーは観光客であふれ、ショッピングモールや高級ブティックは買い物客でごった返している。欧州風の街並みと広々とした公園、大型観光バスと高級車が行き交う大通り。これが果たしてわずか3年前にモラトリアム宣言した国なのか。
 1990年代後半、アルゼンチンは米国の高金利政策やブラジルの経済危機、国内需要の減退により景気は長期低迷し、2001年末には金融システムが破綻。国民の不満が頂点に達し、全土で暴動が発生。政府は当事者能力を失い、ついにはモラトリアム宣言にまで追い詰められてしまいました。まさに国家が破綻したのです。それからわずか3年で何が変わったのでしょうか。

2.どん底からの奇跡の復活

 この日本のバブル期を思い起こさせるような現在の好景気を支えているのが輸出産業です。2001年の経済危機を受けて、従来の1ペソ=1ドルの固定相場制から変動相場制に移行し、中央銀行は輸出競争力を確保するために頻繁に為替市場に介入し、ペソ安を維持してきました。このペソ安が輸出競争力を高めているのです。
 さらなる追い風は、世界経済の堅調な拡大と、それに伴う国際商品市況の高騰です。アルゼンチンの主要輸出産品である穀物生産も2005/2006年度は8,000万トンを超え、10年前の生産高の2倍にまで増大しました。2005年の実質GDP成長率は9.2%。2006年度も8.5%が見込まれており、4年連続で9%前後の経済成長を達成し、2005年度のGDP総額は7年ぶりに過去最高を更新しています。
大統領官邸カサ・ロザーダ
大統領官邸カサ・ロザーダ
ジャカランダの紫の花が美しい
ジャカランダの紫の花が美しい
好調な輸出に支えられ、輸出税や金融取引税の税収が大幅に増加し、プライマリーバランスも過去4年間、黒字基調を堅持しています。潤沢に積み上がった外貨準備で今年初めにはIMFからの借入金も全額返済し、返済に使用した外貨準備も数ヵ月で元の水準に戻しました。好景気を背景に、キルチネル大統領への支持率も高く、来年の大統領選挙でも再選が確実な情勢で、政治面でも一段と安定性が増してきています。まさにどん底から奇跡の復活です。経済指標を見るかぎり、今をときめくBRICsをも(しの)ぐ勢いです。
 しかし、一方でアキレス(けん)も徐々に露呈してきました。課題となっているパリ・クラブの債務返済問題を早期に解決しなければ、国際金融市場への復帰はありえず、好景気を持続させるための資金も呼び込めません。また、公共料金がインフレ懸念から据え置かれているため、電力等インフラ分野への投資が低迷し、旺盛な電力需要を満たせず、早晩停電が発生するおそれがでてきています。好調な輸出を支えるペソ安政策もインフレの懸念材料となっており、好景気をてこにインフレなき経済成長を維持できるのか、まさにこれからが正念場かもしれません。

3.羨ましいほどに豊かな国

 それにしても、輸出が絶好調とは言え、これだけ短期間に奇跡の復活を遂げることができたのはなぜでしょうか。その答えは、おそらくこの国が持つ恵まれ過ぎた国土にありそうです。

水煙を上げるイグアスの滝
パンパの屋敷
水煙を上げるイグアスの滝   パンパの屋敷

 アルゼンチンは、北は世界最大の瀑布(ばくふ)イグアスを擁する亜熱帯ジャングルから、南は南極を望むフエゴ島まで、日本の7倍強(278万km2)の広大な国土を有しています。その中心に位置する首都ブエノスアイレスは、雄大なラプラタ川に面し、アルゼンチン中央部に広がる大草原パンパで産出される穀物や牛肉の輸出港として繁栄してきました。この平たんで、地味肥よく、水量豊富で、地震・台風等の天災のない、世界でも有数の農牧地パンパは、当国経済の基盤であるばかりか、今や世界の旺盛な食糧需要を支えていると言っても過言ではありません。この豊かな農牧資源に加え、石油・天然ガス、鉱物資源、水資源にも恵まれており、旺盛な国内需要を満たすだけではなく、外貨獲得にも貢献しています。
豪快にジャンプするクジラ
豪快にジャンプするクジラ
そして、近年は当国の観光資源にも注目が集まっています。轟音(ごうおん)を響かせるイグアスの大瀑布(ばくふ)、パタゴニアの巨大な氷河、雪を抱くアンデスの山並み、クジラやペンギンをはじめとする野生動物など、大自然の豊かさとスケールの大きさに魅入られて、年々観光客も増加の一途をたどっています。
 つまり、アルゼンチンは生まれながらにして裕福過ぎる資産家なのです。モラトリアム宣言も、恵まれ過ぎた放蕩(ほうとう)息子が遊び過ぎてやけどをしただけと思えば、今日(こんにち)の奇跡の復活ぶりも納得できるかもしれません。

4.将来に向けて

 さて、そんな恵まれた国アルゼンチンと、食糧や資源を輸入に頼る日本は、これまでも相互補完が成り立つと言われ続けてきましたが、現実には二国間の貿易量は低迷したままです。そして、近年では中国や東南アジアにはアルゼンチン産の穀物が大量に輸出されていますが、日本向け輸出は依然低調です。なぜ日本向け輸出が増えないのでしょうか。
美しいアンデスの山並み
美しいアンデスの山並み
中央郵便局
中央郵便局
どうやらその原因は、物理的な距離の問題だけではなく、食文化や嗜好(しこう)の違いにあるようです。例えば、アルゼンチンの牛肉は世界一おいしいと思いますが、口蹄(こうてい)疫の懸念があり、日本には生肉では輸出できません。果物も豊富でおいしいのですが、地中海ミバエの問題があり、これも処理が必要です。アルゼンチンの小麦はフランス原種ですので、フランスパンやクロワッサンには適していますが、日本人好みのモチモチしたパンの食感はなかなか出せません。大豆は米国産やブラジル産に比べ、タンパク質の含有率が低く、日本のスペックには適合しません。トウモロコシは色目が赤く、鶏の飼料にすると鶏肉が赤みを帯びて、白い鶏肉を好む日本人には嫌われてしまいます。
 その一方で、日本企業が多数進出し、日本との結びつきも深い中国や東南アジアではアルゼンチン産品を受け入れやすい土壌があり、特に穀物輸出は旺盛な需要も手伝って、今後もますます増えていく傾向にあります。近年は、われわれ商社が東南アジアや中国でこれまで築いてきた知見と情報を生かし、アルゼンチン産品のアジア向け輸出を手掛けるようになりました。将来は、アルゼンチン産の穀物で育った鶏や豚が、アジアから日本に輸出され、南米−アジア−日本を結ぶ食糧のバリューチェーンを構築できればと考えています。
 本年9月には6年ぶりに日亜経済委員会(日本側事務局:日本商工会議所)がブエノスアイレス市で開催され、両国のビジネスマン120名以上が一同に会し、両国の経済関係緊密化について討議しました。日本にとってアルゼンチンはまだまだ遠い国ですが、将来の世界の食糧危機と資源不足を救うことができる数少ない大国の一つであり、われわれ商社が日本の将来を担って橋頭堡(ぎょうとうほ)を築いておくべき国ではないでしょうか。

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