日本貿易会賞懸賞論文 Awards JFTC Essay Competition

第5回 日本貿易会賞懸賞論文 入賞作品要旨

大賞

グローバル資本主義の修正と日本の使命
― 経済危機がもたらす二つの危機の克服に向けて―

三浦 清志 (日本、30歳)

グローバル資本主義修正の必要性を検討するには、現在の経済危機の正しい理解が不可欠である。というのも、グローバル資本主義の本質に対する冷静な観察なしにセンセーショナルに戦わされる論調の多くは、危機の克服に役立たないばかりか、過去に何度も盛り上がっては消えていった説得力の乏しい議論だからである。現在の危機は、二つの異なる課題の合成であり、それぞれ異なる解決策を必要とすることを明確にすることが重要である。一つ目の課題は、サブプライム・ローン問題として始まった金融危機が全世界的な経済危機に発展した原因と経緯についてであり、本稿は、最大の原因は、社会の中の「安心感」が急速に失われたことが問題と捉えている。しかも、この安心感の喪失はグローバル化の進行によって生じたと考えられることから、危機の克服の処方箋も、グローバル化の果実を損なわずに如何に社会の安心を取り戻すかということになる。いま一つの課題は、現在の危機の結果としてグローバル資本主義の一部の側面が増幅されてしまうことである。新興国への経済の重心のシフト、グローバルな規模での国家資本主義の台頭、地球環境問題を解決するための政治的求心力の低下等の問題は、現在の危機克服の過程で更に深刻化する可能性も高く、別個に対処する必要性が高い。これらの問題を解決し、グローバル資本主義を修正していく上で日本には重要な役割を発揮する資格と能力がある。ただし、そのような役割を担うためには、少子高齢化等、日本が抱える深刻かつ先進的な課題を果敢に解決し、資本主義の魅力的な対抗モデルを提供すること、その経験を踏まえてグローバルなルール・メイキングを主導することが求められる。世界中が日本のバブル崩壊の経験から学ぼうとしている中、日本人こそが率先して過去の失敗の経験を冷静に分析し、守るべきものを守るために変えるべきものを変える勇気を持つ必要があるのである。

優秀賞

ステークホルダーの信頼回復に向けて-日本型合意資本主義に学ぶ

ミハル・オレエヴイニク(ポーランド、31歳)
(仮訳・原文英語)

世界にはどのような資本主義が存在し、どの資本主義がベストなのか(そして今後主流となるのか)。さらに、企業は今後、究極的にどのような目標をもって活動することになるのだろうか。

ここ数十年にわたって、日本型の「福祉を重視した資本主義」をとるのか、アングロサクソン型の「株式市場資本主義」が良いのかというイデオロギー間の揺れを反映して、これらの問題が金融危機とともに浮上し、経済活動における政府の役割が話題とされるようになっている。

本稿は、「市場の金融化」、「株価至上主義」の跋扈、ビジネスへの不信感、政府の無力化、富の格差、ステークホルダーの権威の失墜といった、自制なき市場原理主義が残したものと闘う中で、企業とはいかなる存在であるのか、また、企業は以下にあるべきなのかといった概念を軸に展開するものである。

規制緩和、金融、経営の時間軸、経営陣の役割などについての見方が変化するにつれ、株主資本主義は組織とうまく折り合いをつけることが難しくなっている。フェアネス(公正)という概念こそ資本主義にとって最優先の課題であり、それが確保できて初めて資本主義はうまく機能するのである。例えば、忠誠心のある労働者は、労働者同士、互いに敵対し、厳しく競争しあう(アングロサクソン型思考に基づく)無謀な行動スタイルよりも、相互に尊敬し合える協調的な関係の中で働くことを好むし、そうするほうが経済全体の長期的な健全さにとって良い結果を生むだろう。このことは、知識労働、アウトソーシング、世界規模のサプライチェーン、活発な利益集団などが台頭し、株価の評価が全ステークホルダーを包含する経営の最終的な成果となって現れる現代においては、最重要な事柄となるだろう。

国家による介入と産業政策を受け入れる傾向が強い日本的な資本主義モデルは、組織が混迷の度を深めているときには有効であることが証明されている。ただし、現代日本の課題としては、政府と実業界に対する国民の信頼を回復することにあるが。(終身雇用制度によって可能となっている)献身的な従業員、(相互の信頼関係に裏付けられた取引関係を通して実現した)献身的なサプライヤー、(寛容かつ長期的な資本関係を通して可能になった)賢明な組織形態、さらには、どこにでも見いだせる譲歩と寛容の精神によって、日本の企業は社会の公益というものに貢献することができるのである。このような日本企業のモデルは、株主至上主義からステークホルダーを中核に据えた経済へのイデオロギー変革を迫られているアングロサクソン型企業に対し、ひとつの理想的なな例を提供していると言える。

アングロサクソン型の企業社会は、今後、政府の取り組みにいかにうまく適応し、かつ、株価だけではなく、多元的基準で社会の豊かさを評価するような国際社会の構築・発展にいかに参加・貢献していくかを学ぶことになるだろう。

一方、日本の企業は、ステークホルダー第一主義を貫き、企業活動を品位ある公益追求の活動とすることで成功できることを示すとともに、その独自の福祉資本主義の各要素を基盤として、東アジア諸国におけるあるべき制度的収斂に向けた協調的努力を推し進めていかなければならない。「開発主義」「三位一体(政府開発援助、海外直接投資、貿易)」「経済協力」のすべてが、調和のとれたマクロ経済政策、ガバナンス、ビジネス哲学、貿易、投資活動などを可能にする東アジア共同体の出現や、さらに究極的には通貨統合に向けた、必要な潮流を作り出しているのである。

優秀賞

グローバル資本主義への処方箋-経済騎士道は日本より甦るか

茂木 創 (日本、37歳)

1980年代後半に始まる経済のグローバル化は、時を同じくする情報技術の発達を触媒として、国境を越えた財やサービス、資本、労働の移動をこれまでにない速さで拡大させた。今やわれわれの生活は、グローバル化された経済の恩恵なしには成立し得ない状況にある。その一方で、グローバル化の負の側面、つまり危機の国際的波及も大きな問題となっている。各国は繰り返される国際危機の度に経済政策を行うが、抜本的な解決とは言い難い状況である。本稿は、グローバル資本主義を修正するための処方箋として、A・マーシャルのいう「経済騎士道」や澁澤栄一の「士魂商才」といった公共的精神の重要性を指摘し、その可能性について論じたものである。

グローバル化の現状をみると、企業は狭量な利殖に奔走し、政府は急場しのぎの政策対応をしている。この状況はA・マーシャルや澁澤栄一が公共的精神の重要性を指摘した100年前と酷似している。にもかかわらず、今日、なぜ「経済騎士道」や「士魂商才」の精神が醸成されなかったのであろうか。逆説的ではあるが、第二次世界大戦前の社会の特徴である「貧富の格差」が戦後是正されたことによって、逆に企業家の公共的精神が失われていったと私は考える。戦前の日本においては、資本家になるということは非常に難しかった。そうした社会的な制約の中で、企業家は己の仕事に対して誇りを持ち、雇用者のみならずその家族、地域社会、ひいては日本の国益に対しても責任をもっていた。わが国の資本主義形成の過程では、公共的精神の重要性を説いた企業家が数多く存在した。グローバル資本主義を修正する鍵は、「制度化された経済学」を用いた経済政策ではなく、むしろ各経済主体の経済に対する考え方の修正、すなわち、公共的精神をもった経済活動を行うことにあると考える。日本には武士道に基づく「士魂商才」の発想があった。日本において「経済騎士道」が甦る可能性は低くはない。