日本貿易会賞懸賞論文 Awards JFTC Essay Competition

第6回 日本貿易会賞懸賞論文 入賞作品要旨

大賞

世界を変えて、日本を変える : アントレプレナー国家を目指して

大庭 弘継(おおば ひろつぐ)(日本、34歳)

日本を変えるために、世界を変える。なぜなら日本の漠然とした閉塞感の原因の一つは、自分の運命を自分で決定できない「自立の喪失」感覚にある。それは単に一国のみで経済等を統制できないグローバリゼーションが進展したというだけでなく、日本が国際社会においてあまりに受動的な存在であったことにもよる。戦後の経済成長も、与えられた条件への一方的な適応であって、条件そのものを生み出すことは少なかった。このコンプレックスは、日本経済の停滞とともに、深刻な打撃となっている。

どう変えるのか?まず世界への認識を変える。日本が見ていた世界とは、ニューヨークなど世界の中心であった。しかし中心は決定を下す場所であって、世界が始まる場所ではない。世界は60数億の人々が暮らしている。個々の場所への影響力や情報を持たない日本が中心にいても無力なのは必然だろう。

何をするのか。例えば、日本はBOPビジネスに積極的に参画することで、利益を得、世界の人々の生活の向上に寄与することができる。そのためOBを含めたJICA専門家やNGOなど知見を活用し、現地のニーズリストを作成する。そして技術力という強みを生かすため、個の利益を超えて個の総和以上の力を発揮する民族性というもう一つの強みを生かす。つまり、かつての「日本株式会社」ではないが、官庁、企業、NGOなど人道支援の専門家を統合し、国全体が総合力発揮の条件を整える。

閉塞感に万能薬はなく、BOPビジネスも魔法の弾丸ではない。だがこれを契機に、世界を少しでも変えることを実感できる。そしてこういった挑戦は、他の問題にもスピルオーバーしていく。日本はその時、国家そのものをアントレプレナーとして、新たな国の形を見出すことができよう。

優秀賞

日本再立国論 ~縮小ニッポン脱出の処方箋とは~

サミュエル・ギベルト(フランス、31歳)
(仮訳・原文英語)

数カ月前に世界第二位の経済大国の地位を明け渡すことが明らかになった、長年に渡る経済の長期低迷や日本の凋落についての悲観的なコメント、高齢化社会の到来や現在の人口水準を維持することが困難となるほどに低下した出生率など、日本の下降トレンドは一向に終焉の兆しを見せていない。

日本は、日本社会に深刻な変化をもたらしたこの下降トレンドにより浮上した固有の問題の解決策をまだ見いだせていない。日本社会は、各種統計で明らかにされている経済実態以上の悲観論に支配され、社会全体に広がる将来への不安は、より良い明日を信じることができない若い世代にまで広がりを見せている。

一方で、いくつもの革新的企業や魅力的な文化、中国とアメリカの間に位置するという地理的要因、および世界的な評判の高いサービスの質など、日本には新たなスタートを引き起こすに十分な、数多くのすばらしい資源を有している。

そうした新たなスタートを実現するためには、自ら考えることができる能力や、リスクを厭わず多様性を受け入れる精神の育成が教育目標とされるよう、抜本的な教育制度改革を実行する必要がある。一方日本企業は、そうした教育制度改革の精神にのっとり、トップダウン方式の意思決定構造の見直しやワークライフバランスを求める従業員の声に応えるなど、経営手法の見直しに取り組む必要がある。

こうした新たなスタートが新たな時代へとつながっていくためには、単なる経済成長を目指すのではなく、日本社会のすべての階層に利益がもたらされるような社会的・環境的責任を伴う成長が、真の政治的リーダーシップにより下支えされる必要がある。そうすることで、日本は世界における模範的地位を再び取り戻せるであろう。

優秀賞

流動性を高め,小さくとも,より幸福な国へ

野田 悠(のだ ゆう)(日本、27歳)
(仮訳・原文英語)

今日の日本は、経済危機、高齢化社会における社会保障制度の崩壊、気候変動に対する世界的な取り組みなど、国内外で多くの深刻な問題に直面している。これらの問題は一様に深刻かつ重要である一方で、日本には、将来像の欠如という、より根本的な問題が存在している。優れた将来像の策定により、日本の将来に光がもたらされる可能性はある。そして私はそうした将来像を、より小さく、より幸福な国家としてとらえている。具体的には、まず第一に、日本は自らの経済大国としての存在感を弱め、グリーン産業をはじめとする科学技術分野で新たな知識を創出する国家として、そして科学技術開発の先駆者として、国際社会における固有の地位を確立すべきである。第二に、先進技術を駆使することで人々がそれぞれの人生を満喫できる、より幸福な社会の構築が目指されるべきである。そうした社会においては、高齢者は自らの尊厳を失うことなく、必要な医療支援を受けられなければならない。そうした将来像の達成には、(1)高齢化社会に対応できる高水準、低コストのセーフティーネットの構築、(2)最先端技術の適用、および(3)二酸化炭素排出量の少ない社会の実現に向けたエネルギー改革が必要となる。また、将来の富を支える重要な収入源としての日本ブランド(自然、日本食、歴史、ポップカルチャー)の強化が図られるべきである。この点においては、イタリアが模範とされるべきであろう。

では将来像への移行はどういったペースで進められるべきなのか?ヒト,モノ,カネの流動化は、そうした移行を加速させる可能性がある。流動性と選択肢が不足していることから生じる日本の大学生の不安感は、私自身も個人的に経験した感情であるが、大学生にはより広い職業の選択肢が与えられるべきである。また、各地域のさまざまな文化的資産を活用した地方の公共部門による町もしくは市街地の設計が可能になるよう、地方分権が実現されるべきである。日本には、創造性に富んだより多くの都市の誕生が必要とされているが、こうした取り組みにより、結果的に社会の多様化が進むことが期待される。多様化した社会は、社会の活力および変革を支える堅固な基盤となり、情報技術は、流動性の強化を促す強力なツールとなるのである。

優秀賞

日本国家の再生および再建に向けた処方としての国内改革

ペッケオ・プーマンボン(ラオス、31歳)
(仮訳・原文英語)

今日の日本が直面している課題は、明治維新期や第二次大戦後における課題とは基本的には異なっているが、国内および国外における要因が原因となっている点では、これらの時代における課題と類似した特徴を有している。日本がこれら二つの時期に代表される危機的な時代を、政治面、社会面および経済面における抜本的な国内改革により乗り切ってきた事実は、今日の課題への対応の道しるべとなる教訓である。当時は、政治改革により国家の行く末を描く長期的な見通しや方向性を示し、社会・経済改革により見通しを現実に転換させる手法がとられていた。

私は、日本が今日の課題を乗り越えられるためには、政治面、社会面および経済面における抜本的な国内改革を再び実施する必要があると考えている。政治改革では、若者や女性がリーダーとしての可能性を十分に発揮し、自らの生活や将来に影響を及ぼす政策決定に参加できるよう、若者や女性による参画および能力構築が図られるべきである。これにより日本社会の活性化が促されるだけでなく、洞察力にたけた国内指導者の発掘が可能になる。社会改革の分野では、高齢化および出産率の低下への早急な対応が求められている。出生率の低下を防ぎ、低下傾向を上昇に転じさせられるためには、特に職場および家庭における女性の不安やニーズに、民間部門および個々との連携に基づき政府が対応する必要がある。より強靭な経済体質を構築するためには、日本はまず二重構造(効率的な製造部門と非効率的な非製造部門の共存)に代表される経済における構造的な問題に対処する必要がある。国際市場における競争力の維持には、サービス部門の効率化が必要となる。これは、国内および国外の競争を強化することにより達成できるが、それには規制改革や市場の開放が必要とされる。第二に、自然資源に乏しい日本の将来成長は技術革新によって左右されるため、競争力の維持には、人的資源ならびに研究開発分野( R& D )への継続的な投資が必要とされる。第三に、国内における新たな成長起爆剤の模索が求められている。例えば旅行業界は、内需および外国人観光客の拡大に大きく貢献できる可能性がある。新興工業国の台頭は、日本に脅威と機会の両方をもたらしている。日本は、環境製品や環境サービスに対する需要の増加による恩恵を受けられる可能性がある。最後に、日本は、未開発の低所得国における新たな潜在市場の模索にも取り組むべきである。以上のような抜本的な国内改革を実施することで、日本はより強靭で公正な道徳意識の高い国家として生まれ変われるであろうことを、私は確信している。

審査委員長特別賞

日本再立国論 ~縮小ニッポン脱出の処方箋とは~

ラメシュ クリシュナン(インド、22歳)
(仮訳・原文英語)

日本人にとって「近代化」の概念は、時と集団によりさまざまに異なる解釈がなされてきた。日本人は、この壮大な歴史的事象を受身的な立場で迎えたわけではなく、産業そして艱難辛苦と想像力により、自らの手で近代国家へと生まれ変わったのである。しかし日本は、そうした近代化の過程において、自らの固有な特質や歴史的事実を踏まえようと努力しながらも、他の多くの国家の経験を取り込むことを優先させてしまったのだ。近代化の指針となる普遍的な基準が存在していなかったため、日本では西欧型モデルに沿った近代化が進められた。当初は日本的伝統の維持と「価値判断に基づかない」近代的合理性の導入が両立されていたが、西欧的にならなければ近代化はありえない、という誤った考え方に基づき、結果的に日本的な価値観や伝統は放棄されてしまった。こうした事実に、アイデンティティーや国家としての位置付けに関する社会文化的な不安感が相まり、現代社会における妥協的な生活プロセスが作り出されているわけだが、こうした生活プロセスは、現代の日本が直面している激変を頂点に、さまざまな困難に満ちているのである。問題が経済の縮小であれ、世界第2位の経済大国としての地位を中国に奪われたことであれ、高齢化や出生率の低下により国家としての存続が危ぶまれていることであれ、移民にまつわる現実であれ、または地球温暖化防止や国際的なパワーバランスにおける日本のリーダーシップを求める声が高まっていることであれ、わずかな洞察力と日本人としての価値観をもってすれば、日本は答えを見いだすことができるはずなのである。

日本は、そもそもの「日本らしさ」を日本に呼び起こすことができる日本固有の基本的価値観を思い出す必要がある。日本固有の近代化モデルを無視したアングロサクソン型資本主義の雪崩式の導入を始めとする一連の「非日本的」価値観とひきかえに日本が放棄してしまった「大和魂」と呼ばれる日本固有の一連の価値観は、現代のような危機的な時代にこそ力を発揮していたはずだった。日本は、近代社会は必ずしも文化的伝統をすべて省く必要がないことを理解すべきである。むしろ近代日本は、過去とは異なる方法で自らの伝統に携わっていかなければならないのである。

日本は、現代において必要とされている日本古来の不変の価値観である「神」(神道における霊的本質)、経済や産業、人口や労働力、気候や国際関係などの国家の重要機能(器官)を調整し機能させるさまざまな部位の集合体である「肉体」、そして苦境に立たされた国家を癒やし、経済危機後の新たな世界秩序を導くのに必要な自信を日本に吹き込むことができる「魂」を、再び取り戻す必要がある。