商社が分かる

商社の今がわかる SHOSHAいま

「スマトラ島初の大型地熱発電プロジェクトに挑む」(住友商事/ウルブル地熱発電所建設プロジェクト(インドネシア))

地熱ビジネスで世界の第一線を走る住友商事

住友商事はインドネシアにとどまらず、地熱ビジネスの分野で世界の第一線を走っている。これまでに同社が建設や納入に携わった地熱発電所の総容量は約2,200メガワットに達し、これは全世界で運転中の地熱発電所の総容量の約20%に相当するという。その中で、住友商事の直近に完成したプロジェクトがウルブル発電所なのである。

このプロジェクトは、国際競争入札を経てインドネシア国営電力会社PT.PLN(以下PLN)から受注したもの。2009年5月に入札、同年12月に受注が確定。2010年にPLNとの契約調印を経て着工した。

発電規模は総出力110メガワット(55メガワット×2基)で、主要機器である地熱蒸気タービン、発電機は富士電機が供給し、土木・据付・送電線工事はインドネシアの大手エンジニアリング会社レカヤサインダストリ社(以下、レカヤサ)が担当した。ちなみに富士電機は地熱発電用蒸気タービンで世界のトップクラスのシェアを誇っており、それまでに住友商事が手掛けてきたプロジェクトにも供給してきた、地熱発電分野における戦略パートナーと言える存在だ。また、プロジェクト資金には独立行政法人国際協力機構(JICA)の円借款を利用した。これは、地熱発電所向け円借款としては最大規模に当たる。
ウルブルはスマトラ島の南端に位置する。発電所の建設地は、最寄りの空港から自動車で3時間半ほどかかる山の中にあり、プロジェクト開始前は周囲には全く何もない手つかずの自然が広がっているような場所だった。

送電線や変電施設の建設も求められた難易度の高いプロジェクト

それまでのインドネシアにおける大規模な地熱発電所の建設はジャワ島で行われており、ウルブル発電所はスマトラ島における初の大型プロジェクトであった。また、単体の発電所建設ではなく、既存送電線まで約26キロメートルの新規送電線の建設や関連する3カ所の変電所の新増設を含むプロジェクトで、その分だけ難易度も高いものとなった。
金子さんは「地熱発電所の建設自体はそれまでに十分な経験と実績がありましたが、送電線の敷設まで手掛けるのは初めてだったので、提案書を作成する段階でも相当苦労しました。何しろこれができなければ発電所が完成しても電気を送ることができないわけですから。工事が始まってからも送電線部分が一番の心配のタネでした」と話す。

それは単に決められた1カ所に施設を造るのと違い、「線」としてつながることから使用権や所有権などの問題が発生し、住民や地域との関係が複雑に絡むようになるからだ。しかも、日本とは法律や慣習も異なる事もあり、発注元のPLNやパートナーであるレカヤサなどインドネシアサイドと協調しながら進めて行くことも多かったことだろう。

建設にあたり最初のハードルとなったのが、丘陵の斜面を削り建設工事が可能となるようにする土木工事だった。発電所建設の場合、整地された状態で建設工事に取り掛かることが一般的である。しかし、この土木工事も求められたことから、調査期間を含め完了までに数カ月間を要した。土木工事期間中もそうであったが、インドネシア特有の厳しい雨季の影響から、途中納期の遅れが危ぶまれ、気象データを準備して発注元のPLNに示すことを検討した時期もあったという。


立ちはだかったもうひとつの難関

もうひとつ金子さんの頭を悩ませたのは、掘った井戸から取り出した蒸気を発電所まで運ぶ、集蒸気システムと言われる部分の工事の進捗状況だった。この部分は発電所建設とは別のプロジェクトであり、発注元のPLNが調整の責任を担っていたが、工事が遅れていた。担当外の工事ではあるものの、集蒸気システムが出来上がらなければ発電所が完成しても電力を作り出すことができない。折しも、発電所の建設工事が始まった2010年にインドネシア政府は、地熱発電を大幅に拡大するエネルギー政策を打ち出していた。言わば、地熱発電の推進が国是となった訳だ。

スマトラ島初の大型地熱プロジェクトということも相まって国内の注目度が高まり、発電所建設の工期内に発電が行えるようにする、つまり「集蒸気システムの遅れを吸収して納期を守る」ことへの暗黙のプレッシャーを感じるようになっていたという。

目に見える部分はプロジェクトの氷山の一角

工事のように誰が見ても進捗状況がわかる部分は、実はプロジェクトの氷山の一角に過ぎない。例えば、時間という要素で考えてみると、ウルブルプロジェクトの工事期間は3年弱だが、国際競争入札が具体化してから受注までに約1年、構想が浮上してからなら完成まで10年近い年月を要している。

また、現場での工事を、品質や安全性を確保しながら納期に遅れることなく進め、事業として成立させるためには、施工体制・調達・コストの管理などを含めた全体としてのプロジェクトマネジメントをきちんと行うことが不可欠なのだ。逆に言えば、こうした関連するあらゆる要素を擦り合わせて、全体としての最適解へ導くことがプロジェクトの醍醐味でもある。


青沼幸太郎氏

青沼幸太郎さんがプロジェクトに加わったのは、そのうち「調達」の部分に当たる日本からの資材などの出荷がピークを迎えていた2011年8月のこと。プロジェクト後半の追い込み時期を控え、チーム陣容強化の必要性を感じた金子さんが「フレッシュで若い人材」として隣の部署にいた青沼さんに白羽の矢を立てたのだ。

調達は、ある意味では商社の原点とも言える仕事で、指定された資材を数量も含めて間違えないことは当然で、さらに工事の進行に合わせて適切なタイミングで現場に届けることが要求される。日本からの輸出となれば通関手続きに必要な書類の用意や申告、そして現場までの輸送の手配など、品物ひとつ送るにしても様々な目配りや確認が必要となる。

「ちょっと目を離している間に関連のメールが膨大に届いていることもありました。それまで携わったものと比べてプロジェクトの規模が格段に大きかったことは確かなのですが、ここはなんという大変な部署なんだろうと思いました」。青沼さんは異動直後の印象をこう語る。

徹底した話し合いで混成チームの結束を固める

工事がピークを迎えると、日本サイドのチームもメンバーの誰かが毎月必ずインドネシアに出張に行っているような状況になっていた。現地での主要な仕事は、発注元であるPLNとの定期ミーティングや、それへの対応も含めたパートナーである富士電機、レカヤサとの調整である。日々の工事に追われている現場では、どうしてもそれぞれ担当の仕事を最優先に考えがちになってしまう。

「私たちが考えるのは、どうするのがプロジェクト全体にとって最適であるかということ。そのためには、時にはこちらが譲り、時にはPLN側に譲ってもらうという決断をしなければならないこともあります。当然ですが、それによって品質や安全性に支障をきたすことや、プロジェクトチームの結束に影響が出るようなことがあってはなりません。ですから、一方的に命令したり、逆に馴れ合いにならぬよう、3社間で十分に協議して方向性を決めるようにしていましたし、そのことをメンバーにも徹底させていました」と金子さんは語る。実際、青沼さんも「PLNとの重要な会議の前には、3社間の協議を2日かけてやったこともありました」と当時を振り返る。

また、駐在歴もある金子さんはインドネシアの人たちの気質について、基本的には穏やかだが注意をしたり怒ったりする場合は、気を使わなければならないと指摘する。人前で怒ると本当にソッポを向いてしまう人もいるので、必要な場合には個別に話をするようにしていたという。そこには気質の問題だけでなく「こちらに来て仕事をさせてもらっているのだから、インドネシアの人たちを尊重しなければいけない」という想いも込められていた。