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明治時代後期から大正時代中期の商社は、欧米列強の仲間入りをめざして重工業を発展させようとした明治政府のために働いたんだ。大正時代におきた第1次世界大戦のときには、日本政府の命を受けて連合国のために必要なモノをヨーロッパに送ったんだよ。

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明治後期~大正中期

重工業の発達を助けた商社

明治後期頃には、日本に近代工業が育ってきた。明治政府はそれをもっとさかんにして、国の力を強くし、欧米列強の仲間入りをしようとしたんだ。そのために、軍事工業を中心とする重工業を発達させることに努めた。ところで、重工業には鉄が要るよね。その鉄を作るために必要な鉄鉱石(てっこうせき)や石炭は、日本ではあんまり多く採れない。そこで商社が、外国にたくさんある鉄鉱石や石炭を輸入したんだ。それが、日本の重工業の発展を助けることにもなったんだ。

第一次世界大戦と商社

第一次世界大戦で、日本は連合国側(イギリス、フランス、ロシア、イタリア、アメリカ合衆国)を支援したのは知ってるかな? 戦争となれば、戦うための軍備が必要になる。だけど、連合国ではそれを作ることができず困っていた。そこで日本が作った軍需品を連合国に供給したんだ。商社は日本政府の命を受けて、軍需品をヨーロッパまで送る手伝いをした。

産業が近代化して商社ブームがやってきた!

大正時代がわずか14年間だったのは知っているよね。でも、この短い時代は、日本の産業の近代化と商社の発展にとって、とても重要な時期だったんだ。当時、日本の産業は、繊維(せんい)産業を中心とする軽工業が発展していて、さらに鉄鋼(てっこう)産業を中心とする重工業が発展しはじめ、日本の近代化が加速(かそく)していた時期だったんだ。そのため、さまざまな産業や企業が誕生したんだよ。そうなると外国との貿易取引も活発(かっぱつ)になるよね。そこで商社が活躍した。明治の終わりから大正にかけて、商社の仕事や活動の場が一気に広がったことから、多くの新しい商社が誕生したんだ。当然、商社同士の競争(きょうそう)も激しくなっていった。

そして、1914年、第一次世界大戦がはじまった。ヨーロッパの列強(れっきょう)が参戦(さんせん)したために、ヨーロッパからの輸出がストップしてしまった。そこで、また日本商社の仕事や活動の場が大きく広がった。ヨーロッパからの輸入品が入らなくなってしまった日本国内をはじめアジアに、日本の製品を販売、輸出する絶好の機会が訪れた。また、ヨーロッパ向けに軍需(ぐんじゅ)という戦争に必要な物資の輸出も相当増えた。おかげで日本経済は空前(くうぜん)の好景気となり、商社の取り扱う商品、販売先が大きく広がった。言ってみれば、大正時代は商社ブームの時代だったんだ。

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明治時代 詳しい解説 1894~1911年ごろ

社会のできごと

1894~1895年
日清戦争
朝鮮(ちょうせん)をめぐって起こった日本と清との戦争。この戦争での勝利が、明治維新前にアメリカやヨーロッパ諸国(しょこく)と結んだ不平等条約を改正するきっかけのひとつとなった
1901年
八幡(やはた)製鉄所の操業開始
現在の福岡県北九州市八幡東区につくられた官営(かんえい)の製鉄所(せいてつじょ)。日本で初めて銑鋼(せんこう)の一貫操業(いっかんそうぎょう)を行った。建設費には、日清戦争で得た賠償金(ばいしょうきん)があてられた
1904~1905年
日露戦争
イギリスと日英同盟(にちえいどうめい)を結び、帝政ロシアと満州・朝鮮をめぐって争った戦争。日本はこの戦争に勝って、樺太(からふと=サハリン)の南半分を領土(りょうど)としたが、賠償金は得られなかった
1911年
日米通商航海条約により関税自主権(かんぜいじしゅけん)を完全回復
この条約により、外国の商品に対する関税を自由に決められる関税自主権を完全回復した。江戸時代末期の不平等条約(1858年の日米修好通商条約)改正のため、1894年に最初の日米通商航海条約が結ばれ、このときに治外法権(ちがいほうけん)の撤廃(てっぱい)、関税自主権の一部回復がなされていた。この年に結ばれたのは、それを完全改正した新条約である。

日本も欧米列強の仲間入りをしなければ

この頃の日本は、江戸時代からくらべると、だいぶ近代的な国になっていた。だけど、欧米の国に比べるとまだまだ大きく遅れていたんだ。欧米の国の方が経済力も、軍事力も大きかった。とくにイギリスやフランス、オランダ、アメリカなどは強かったから「列強」と呼ばれていた。ロシアやドイツも列強の仲間に入っていた。日本だって負けちゃいられない、と明治政府は思ったんだね。そこで、日本をもっと強くして、欧米列強の仲間入りをしようとして、ある産業に力を入れたんだ。

重工業には鉄がいるけど日本には鉄がない


八幡製鉄所

欧米列強の仲間入りをしようとした明治政府が力を入れたのは、軍事工業を中心とした重工業だったんだ。軍需品をたくさん作って、軍備を増強しようとしたんだ。ところで、軍需品の多くは何でできていると思う? そう、鉄でできているんだ。だから明治政府は軍備を増やすために、まず材料になる鉄をつくろうとした。そのために、日清戦争で得た賠償金を使って、あの、教科書にものっている八幡製鉄所を建てたんだよ。じゃあ、もうひとつ質問するよ。製鉄所では、何から鉄を作るか知っているかい? ちょっとむずかしいかな。鉄は、鉄鉱石という石から作るんだ。鉄鉱石を石炭とまぜて高温の火でとかすと、中から鉄分がとけ出してくる。それを冷やしてかためたものが鉄なんだ。つまり、鉄を作るには、鉄鉱石がどうしても必要なのさ。だけど、鉄鉱石は日本ではほんの少ししか採れなかったんだ。

鉄鉱石を外国から輸入して、鉄をつくれるようにした商社

鉄鉱石がないと鉄がつくれない。そうなると、明治政府が望んでいたような欧米列強の仲間入りもできない。そこでどうしたかと言うとね、外国にある鉄鉱石を日本に運んだんだ。つまり、輸入したんだね。中国やインドでは鉄鉱石がたくさん採れたから、日本の商社がそれを買って、日本の製鉄所に運んだ。だから、製鉄所では鉄をどんどん作ることができたというわけだ。
日露戦争
その鉄から機械や兵器ができ、日本は強くなり、政府が考えていたように日露戦争にも勝つことができた。そして、欧米列強にまけない力のある国として、世界からみとめられるようになった。そのうらには、商社の働きがあったんだね。

専門商社という新しいタイプの商社が数多く生まれた

日本の近代化(きんだいか)が明治時代にはじまったのは覚(おぼ)えているよね。国の政策で、西洋の技術を積極的(せっきょくてき)に輸入して産業を発展させようとしたんだ。日清戦争の後は繊維(せんい)や食品などの軽工業が発展して、日露戦争前後の時期は軍備(ぐんび)に力を入れたこともあって鉄鋼(てっこう)や船舶(せんぱく)など重工業が発展したんだ。

つまり、産業の幅が大きく広がったんだね。商品の種類が多くなり、輸出・輸入の機会が増えた。そのため、明治時代の終わりごろから数多くの商社が誕生したんだ。特に目立ったのが専門商社だ。特定の分野の商品を専門に取り扱う商社のことだ。綿花(めんか)輸入商、洋反物(ようたんもの)輸入商、綿糸(めんし)輸出商、生糸(きいと)輸出商、羊毛(ようもう)輸入商、鉄鋼(てっこう)専門商など実にさまざまな商社が生まれたんだよ。

ところで、この時代の商社の活動は、今とは少し違っていたんだ。当時は、まだ日本の外国人居留地に設置された外国商館(しょうかん)の外国商人から商品を輸入することが多かった。それでも直接海外と貿易をする商社も増えていったんだ。だんだんと近代的な商社ビジネスに近づいていたと言っていいかもしれないね。また、当時の商社事業は、生産者と消費者の間に入って、商品の取引を仲介(ちゅうかい)して仲介手数料をもらうコミッション・ビジネスが中心だった。でも、仲介手数料だけでは利益は大きくない。だから、商社自(みず)らが商品を仕入れて売る買越(かいこし)や、商社自らが注文を受けて販売する売越(うりこし)という新しい商売も行っていたんだ。外国から安くモノを仕入れて、高く売れれば利益(りえき)も大きくなるよね。この方法で商売する商社もあったんだ。

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大正時代 詳しい解説 1914~1918年ごろ

社会のできごと

1914年
パナマ運河開通
運河の開通で太平洋と大西洋(カリブ海)が結ばれ、それまで南アメリカ大陸を回っていたニューヨーク-サンフランシスコ間の航路は半分近くにまで短くなった
1914~1918年
第一次世界大戦
同盟国側(ドイツ・オーストリアなど)とイギリス・フランス・ロシアを中心とする連合国側との対立が原因となって起こった世界的規模(きぼ)の戦争。日本は日英同盟によって連合国側に立ち参戦(さんせん)した。日本は物資の供給(きょうきゅう)で連合国側を支援(しえん)したことから、戦争特需(とくじゅ)で好景気となり、工業生産が大きく増えた
1917年
ロシア帝政が倒れ(3月革命)、ソビエト政府ができる(11月革命)
第一次世界大戦後の社会不安から、3月に労働者や兵士が蜂起(ほうき)し、帝政を打倒(だとう)して臨時(りんじ)政府が成立。さらに、11月にレーニンの指導するボリシェビキが武装(ぶそう)蜂起し、世界初の社会主義政権を樹立した
1918年
米騒動(こめそうどう)-全国的な大民衆暴動(みんしゅうぼうどう)
米の価格が急激に上がったことをきっかけに民衆が、県外への米の積み出しを阻止(そし)したり、米屋をおそったりした暴動事件。富山県で起こった事件が新聞で報道され、全国各地に広がった

アメリカ、ヨーロッパなど海外に進出しはじめた商社


第一次世界大戦

1914年に第一次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)した。人類(じんるい)最初の世界大戦だ。イギリス、フランス中心の連合(れんごう)国と、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国(ていこく)中心の同盟(どうめい)国が主にヨーロッパを舞台に戦ったんだ。日本も日英同盟を結んでいたから参戦(さんせん)した。この戦争は日本の経済や商社に大きな影響を与えたんだ。

日清戦争や日露戦争の時と同じように、戦争が起きると軍需(ぐんじゅ)が生まれるよね。この時も戦争中のヨーロッパへの軍需品の輸出が増えたんだ。さらに、ヨーロッパからの輸入が途絶(とだえ)えてしまったアジアに対して、日本が代わって物資供給(きょうきゅう)の中心国となったことから、商社の仕事や活動の場が一気に広がったんだ。また、外国商館の在日のイギリスやドイツの商社は、ヨーロッパの戦乱(せんらん)の影響から、日本でほとんど活動ができなくなってしまった。つまり、その分、日本商社の仕事が増えたんだ。

こうして、第一次世界大戦の特需から、日本企業は空前(くうぜん)の利益を上げ、日本経済は好況(こうきょう)に沸(わ)いたんだ。特に、造船(ぞうせん)、製鉄(せいてつ)、繊維(せんい)分野が目ざましい発展を遂げた。商社はこのチャンスを積極的に活かし、国内のみならず海外へも事業を拡大させていった。この時期に多くの商社は、中国、台湾、ニューヨーク、ロンドン、シンガポールなどに事務所を開いたんだ。商社で働く人もどんどん増えた。商社ブームといわれるほど商社はかつてないほどに栄えたんだ。

景気がよくなった。そのうらには商社の働きがあった

第一次世界大戦の頃の日本では、工業がいちじるしく発展したんだ。連合国へ軍需品を供給するために軍事工業がさかんになったのはもちろんだけど、それ以外にも、製糸業や、化学・金属・機械・造船などの重工業がものすごく発達した。つまり、そういうものを大量に生産できるようになったんだ。生産したものは、日本の商社が、外国にどんどん売った。輸出をしたわけだね。たくさんのものを輸出できたので、輸入より輸出の方が多くなった。つまり、外国から買うより、外国に売る方が増えたんだ。すると、どうなると思う? 売る方が多いわけだから、もうかる! もうかれば、日本にお金がたまって、景気がよくなる。(どうして景気がよくなるかは、ちょっとむずかしいからここでは説明しないよ。中学や高校になったら勉強しようね。)そして、日本の経済はますます発展したんだ。その発展のうらには、輸出でがんばった商社の働きがあったんだよ。

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