商社が分かる

商社のダイバーシティ~Diversity & Inclusion~

第13回ダイバーシティ推進セミナー
「人材版伊藤レポート ~持続的な企業価値向上に向けた人財戦略」

2021.07.02ダイバーシティ推進

伊藤 邦雄(いとう くにお)氏

一橋大学CFO教育研究センター長

一橋大学名誉教授。1951年千葉県生まれ。75年一橋大学商学部卒業。84年一橋大学助教授。87−88年スタンフォード大学フルブライト研究員。92年一橋大学教授。96年商学博士(一橋大学)。02−04年一橋大学大学院商学研究科長・商学部長。04−06年一橋大学副学長。19年からTCFDコンソーシアム会長。

7月2日、一橋大学CFO教育研究センター長 伊藤邦雄氏を講師にお招きし、第13回ダイバーシティ推進セミナーを開催しました。

コロナ禍や人生100年時代など、企業も個人もさまざまな変化に対応していくことが求められる今、「パーパス(存在意義)」の重要性が注目されています。企業が存在する理由や、人々が働く理由が改めて問われる中、2020年9月に経済産業省が発表した「人材版伊藤レポート」では、企業価値の持続的向上を実現するためには、企業理念や存在意義に立ち返ることが不可欠だと提言しています。

企業は、自社のパーパスをどのように定義し企業経営と人材戦略を連動すべきか、企業と個人、そして社会との関わり方についてお話を伺いました。

1. はじめに

パンデミックの発生やグローバル化、デジタル化が進む中、企業はさまざまな経営課題に直面している。こうした経営課題への対応は、働き方を含めた人材戦略と切り離すことができない。企業は人材戦略が経営に直結することに気付き、持続的な企業価値の向上に向けて連動させ、人的資本の価値を最大限に引き出すことを意識しなければならないが、多くの企業で実行されていないのが現状だ。

2. 「人材版伊藤レポート」に見る三つの視点

このような課題認識を踏まえ、経済産業省が立ち上げた「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」では、次の三つの視点を意識して「人材版伊藤レポート」(持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書)をとりまとめた。

一つ目は、コーポレートガバナンスの文脈で人材を捉えることである。ここでは、経営人材の探求・育成について、ガバナンス改革の中で取締役会が人材に対してどう向き合うべきかを提示している。なお、2021年6月に改訂されたコーポレートガバナンス・コードでは、取締役会メンバーが備えるべきスキル(知識・能力・経験)を開示することが明記されている。人材戦略を設計するに当たっては、経営改革の大きな流れの中で考える必要がある。

二つ目は、持続的な企業価値創造の文脈で捉えることである。企業価値の主な決定因子が有形資産から無形資産に変わり、その中核にあるのが「人的資本」である。人材戦略を持続的な企業価値向上のストーリーに反映させることが重要だ。

三つ目は、投資家目線で人材を捉えることである。最近では、投資家が人材戦略に強く関心を持ち、CHRO(最高人事責任者)との対話も始まっている。経営者は人材戦略上のKPI(重要業績評価指数)を明示し、どのようなPDCAサイクルを行っているかを投資家に説明することが求められる。

3. 浮かび上がる問題意識


出典:講演資料

人材戦略への取り組み方を考える前に、これまでに浮かび上がってきた問題意識を整理しておく。従来、多くの日本企業はメンバーシップ型雇用に基づき、安定性・均質性を重視したコミュニティを創ってきた。だが、それではイノベーションが生まれにくく、多様化する個人の価値やニーズにも対応できていなかった。また、人事施策は人事部のみがオペレーションを担い、企業は社員を「資本」ではなく「管理の対象」と捉え、経営戦略とひも付けできていないことも明らかであった。要因はさまざまだが、そもそも中長期の経営戦略がはっきりしていないことや、HRテック導入の遅れ、本社の縦割り組織の他、経営企画部と人事部とのコミュニケーション欠如などが挙げられる。企業と社員の関係性を見ても、日本企業の従業員エンゲージメントは世界各国と比較しても著しく低く、139ヵ国中132位という結果が出ている(米国ギャラップ社の調査)。

4. 人材戦略変革に向けた「パーパス経営」

このような問題意識を踏まえ、人材戦略を変革するために重要となるのが、「パーパス経営」だ。「パーパス」とは、企業と個人の存在意義を探求する「自己省察能力」、すなわち自社、そして自分自身を知る行為である。働き方改革が進み、在宅勤務が主流となった今、仕事と私生活が密接になったことで、企業は会社のパーパスだけでなく、個人のパーパスを確認し、同期化させることが求められる。そのためには、まず経営者が企業のパーパスを策定し、社員に浸透させるために「対話」を図ることが重要である。パーパス経営は企業文化と深く関わっており、それを根付かせるためには、経営者の信念と持続的な努力が不可欠となる。

その上で、企業には人材をオペレーション志向の「人的資源」ではなく、個人の個性・能力・専門性を重視するクリエーション志向の「人的資本」として捉えることが求められる。また、個人の潜在力を見いだし育てるために、従来の集団一斉志向(メンバーシップ型雇用)を改め、新しいことに最初に挑戦し、失敗してもポジティブに受け取る「ファースト・ペンギン文化」の醸成をお勧めしたい。

5. 選び・選ばれる関係を目指して

これからの企業が目指す姿は、企業と社員がお互いに「選び・選ばれる関係」になることだ。従来のメンバーシップ型雇用では、企業が雇用し続けてくれるという社員の悪性安心感を醸成し、それにより従業員エンゲージメントが低下し、企業価値も下がる傾向にあった。「選び・選ばれる関係」は、パーパスを中心に置きながら社員と企業が理解することによって成り立つため、企業と社員との「対話」、社員同士の「対話」が重要になる。経営者が企業のパーパス策定に責任を持ち、経営戦略と人材戦略と企業文化の同期化を図り、それらを言語化し、社員に説明して初めて「対話」が可能になる。

これからますます変化が激しくなる時代、企業の持続的な価値向上を図るためには、経営戦略と人材戦略を結び付けて推進し、人的資本の価値を最大限に引き出すための努力が必要である。ここでお伝えした「パーパス経営」「対話」「人的資本への発想転換」を意識し、さらなる企業成長につなげていただきたい。

参考:人材版伊藤レポート(全文)

講演を終えて

「人材を『資源』と捉え、管理・節約する発想になりがちである中、人材を『資本』と捉え、教育や活躍する環境を整備することによって働く人を幸せにし、企業の価値も高めることができる」という先生のお話は、昨今のさまざまな課題を捉えた経営と人事に共通するメッセージでした。経営戦略と人事施策をどのように結び付けていくのかを考える機会をいただきました。また、先生の明快なご説明と力強いメッセージに、今後の人事施策へのヒントや励ましをいただきました。ご多忙な中お時間を頂戴し、素晴らしいご講演をしてくださった伊藤先生に、この場をお借りして改めて御礼申し上げます。

2021年度ダイバーシティ推進コミッティ座長
三井物産株式会社 人事総務部 ダイバーシティ経営推進室
ラファエル・ティンティン・サンタマリア氏